トップ > 観光情報 > 豊前の先人たち > 矢幡   小太郎

矢幡   小太郎(やはた   こたろう)【1854(安政元)~1923(大正12)】 

◆政治家   地方自治に生涯をかけた英傑

 

代々石清水八幡神社の神職である矢幡家の次男として生まれ、15歳で蔵春園に学び、戸早春村(医者・文人)にも教えを受けました。

1889年(明治22)に初代の黒土村村長になり、以後40年にわたりその職務を全うします。矢幡が村政運営で模範としたのは郷土の先人高橋庄蔵で、慢性的な水不足に苦しむ農民を救済するため、矢方池の構築に私費を投じながら生涯を捧げたその犠牲的精神こそが、これからの自治運営の規範と考えました。自身も高橋の没後未完成となっていた甲池(矢方池の一部)の完成に情熱を注ぎ、1900年(明治33)ようやくその遺志に報いました。

矢幡の村政運営は企画性に富み、全村民を会員とした産業組合を設立したり、教育分野、特に社会教育では青年会、主婦会、敬老会、全村懇話会など基金を設けて創設したり、当時としては先進的な様々な取り組みを行っています。

明治の時代に傑出した自治運営を試みた人物として、その評価は今の時代に活かすべきものかもしれません。

 

 

AIチャットボット
閉じる