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渡辺   惣九郎(わたなべ   そうくろう)【1808(文化5)~1882(明治15)】

◆庄屋   隻眼の鬼といわれた男

 

上毛郡岩屋村(現;豊前市岩屋)の庄屋を務める渡辺家は、もともと宇都宮氏の家臣の家系で、堀に囲まれた屋敷の地割りは今でも中世の居館の面影を伝えています。

その渡辺家に生まれた惣九郎は、幼い頃に重い疱瘡(天然痘)を患ったことで右の目を失い独眼の人生を送ります。後に三毛門手永の大庄屋になったとき「求菩提の山から片目の鬼が出て、三毛門手永を惣喰う」と童謡に歌われたと言います。

惣九郎は地域の農業の発展に力を注ぎ、地元の篠瀬、戸符、岩屋の河原の荒地を良田にまた、堰や水路の大改修で灌漑の利便性を確保するなど、農業の振興を図る傍ら神社の修理や神輿、神楽道具の寄進、信仰の場である岩洞窟の整備など地域の信仰にも寄与します。

一方で「建国鄙論(けんこくひろん)」という、藩主に対する忌憚の無い意見を纏めた文書を残しています。時まさに天保の大飢饉が起こり、百姓は飲まず食わずの上に献金の仰せがあるなど苦難の中、百姓にとどまらず庄屋までもが離散する現状を憂い、藩主に心がけるべき事を指摘するものであったと言います。

農民苦難に時代にあって国を支える民を思い、主君にそれを説く気概を持った人物として記憶したい。

 

渡辺惣九郎

建国鄙論(けんこくひろん)  建国鄙論(けんこくひろん)

 

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