中野 素昻(なかの そこう)【1897(明治30)~1985(昭和60)】
◆彫刻家 日展の実力者として彫刻界に君臨
築上郡角田村(現;豊前市松江)に生まれ、父は宮大工の棟梁、兄も地元では名の知れた彫刻家でした。その兄(松山)に彫刻の手ほどきを受けた後1920年(大正9)に上京。東京美術学校(現在の東京芸術大学)教授水谷鉄也に入門、1928年(昭和3)、帝国美術展覧会(帝展)に初入選を果たします。しかし、経済的に困窮し十分な創作環境も無く苦労の連続でしたが、郷土の先輩の援助でその実力を発揮し、日展無鑑査、日展審査員を経て、1965年(昭和40)には日展会員となります。 その作風は写実的な青年像や迫真の知名士胸像、極彩色の能面などを得意とし、豊前市内にもブロンズの青年像など多くの作品が残されています。 芸術がもたらす計り知れない力は見るものの感性を磨き活力を生みます。躍動美溢れる素昻の作品は将来への希望と、この地で暮らす私たちに一筋の光を感じさせてくれます。 |
制作に取り組む素昂氏
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