木部 シゲノ(きべ しげの)【1903(明治36)~1980(昭和55)】
◆女性パイロット 男装の麗人と言う奇才
築上郡八屋町(現;豊前市八屋)に生まれ“男装の麗人”と呼ばれた日本の初期女性パイロットの一人でした。 幼少の頃、一家は朝鮮半島で暮らしていましたが、やがて空を飛ぶことに憧れを持つようになり1923年(大正12)上京します。シゲノ20歳のときでした。この頃から断髪をして男装を通すようになり、運送会社に勤めながら蒲田の第一航空学校で苦労しながらも1925年(大正14)、三等飛行操縦士の免許を取り初期の女性パイロットの一人となります。 やがて若い男装の女性パイロットは大変な人気となり、飛行演技や講演会ではブロマイドが発行されるほどでした。1928年(昭和3)には訪問飛行で故郷に錦を飾り、会場の八屋の明神ヶ浜は5,000人もの見物客で埋まったと言います。はじめて見る宙返りや錐もみ飛行に大きな歓声がわきました。 しかし戦争が激化する中、シゲノの活躍の場は次第に無くなり、外地で軍関係の仕事などをこなしながら過ごすことになります。 やがて終戦を迎え、民間の航空事業が再開されると日本婦人航空協会の設立に参加し、羽田空港での説明や案内などの仕事で人気者となります。 晩年は故郷に帰り1966年(昭和41)、航空界への永年の功績により勲六等宝冠章を贈られました。 女性の権利が軽んじられていた時代、努力と希望で自らの人生を切り開いたその姿はNHK朝の連続ドラマ「雲のじゅうたん」のモデルとなりました。
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郷土訪問(西日本新聞福岡100年集より) |
東京国際空港時代 |