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廣澤   應知(ひろさわ   おうち)【1862(文久2)~1934(昭和9)】

◆教育者

 

豊前修験道の聖地、求菩提山の修験者成円坊の家に生まれ、小学校卒業後、蔵春園で恒遠精斎に漢学を学びます。1882年(明治15)に地元の篠瀬小学校の教員となり、以降40年余り秋霧尋常小学校、郷山小学校など地元の小学校で教鞭を取ります。その間、廣澤に教えを受けた多くの人たちに慕われ、地元の人たちの信頼も厚く、生前に顕彰碑が建てられたといいます。

その後、1921年(大正10)には国玉神社の宮司となり、当時「築上史談会」や「豊前山岳会」を中心に進められていた求菩提山の保護と活用事業に積極的に協力します。特に資料収集に当たっては古文書等の調査に協力し、そのことが資料の散逸を防ぐ上で大きな意味があったといえます。

現在、求菩提山は国の史跡に指定され、その周辺地域は重要文化的景観として文化庁から選定を受けていますが、こうした求菩提山の歴史的価値を評価する上で多くの資料が保存されてきたことの意味は大きく、修験者の末裔であった廣澤の果たした役割は大きなものがありました。

こうした地域に根ざした業績はそこに住み、そこにいることでしか見えないことを積み重ねていく努力であると言えます。求菩提山の評価もまさにその結果であるといえます。

広沢應知

 

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