福田 行忍(ふくだ ぎょうにん)【1837(天保8)~1901(明治34)】
◆僧侶 異郷の地で人材の育成に励んだ宗教者
越中国射水郡島尾村(現;富山県氷見市島尾)出身で、23歳で得度(仏門に入り僧侶となること)し、思うところあって遠く中津(現;大分県中津市)に赴いたといいます。1868年(明治元)に上毛郡梶屋村(現;豊前市梶屋)の正円寺に入り、豪商万屋の援助を得て寺を千束村(現;豊前市千束)に移転します。 その人柄は謹厳、学識は深遠で、万屋小今井氏の私学乗桂校(真宗)の教鞭をとり、私寮に子弟を招きました。その教えを受けた多くの門下生は近郊の真宗寺院で活躍しました。また、真宗の本山大学林の教員に登用され、1895年(明治27)には司教を授けられます。 没後、西本願寺門主は最高位である勧学の位を贈り、その功績を称えました。 地域の人材はこうした献身的な活動の中でこそ育つもので、先人の思いに応えるべく活動した教え子は多くの恩恵を地域に残しました。 |