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三毛門沓川に四男五女の長男として生まれる。
豊津中学から第五高等学校(熊本)に入学。成績優秀で競争相手は後の東大教授寺田寅彦であった。文豪夏目漱石に習い、夏目家の正月の歌留多会には何回も出席している。
五高から東大機械工学科に進み、最優秀の成績で恩賜の銀時計を拝受。大学時代の3年間大学と下宿の間の道しか歩いた事がなかったという逸話も残されている。
明治35年(1902)東大を卒業、翌年機械工学科助教授に任じられる。
大学での講義は、九州弁が抜けず、風采があがらず、外見から「バカ丸」という渾名をつけて呼ぶ学生もいたという。
東大助教授のとき「蒸気汽罐」「蒸気機関」「蒸気タービン」「瓦斯及石油機関」の四冊の本を出版した。当時の工学書はすべて外国語であったので日本語で書かれたこれらの工学書は国内の研究者たちに非常に役立った。
明治44年(1911)、欧米に留学。各国の水車、水力発電、蒸気タービン、ディーゼル機関などを見学し、新知識を身につけて上述の本を改訂、また新たな本も上梓した。
大正6年(1932)、東大教授、翌年工学博士。博士は著書の改訂に熱心で、自動車や航空機の技術発展など工学技術が飛躍的に発展したこの時期、全著書の改訂を実施、また、東大在職中に機械学会(当時会員数8800人)の会長にも就任した。
昭和13年(1938)、大学を定年退職し、日産自動車、日立製作所の技術顧問となり、昭和21年(1946)70歳で退職した。東大在職36年、日本の産業界に俊秀を送るとともに著書で学界、産業界に多大の貢献なした。
満91歳で他界。遺族が内丸家の古書画や民俗資料等を多数、市に寄贈されている。
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