宇島祇園
(うのしまぎおん)




■起源 文政9年(1826)
■内容 宇島築港中の文政八年(一八二五)六月五日の夜、時の藩主小笠原忠固公が海路参勤交代の途中、宇島築港工事の進捗状況を視察に訪れようとしましたが、折からの時化で御座船が入港できませんでした。これを知った蓬莱町の漁民四〇名が十艘の小船に分乗して沖に漕ぎ出し、無事御座船天祥丸を港に曳航して、藩主の難を救ったといいます。さらに翌日には御座船を沖まで見送り、祝の舟歌を連唱したところ、藩主は大変喜ばれたといいます。
これを記念して、翌文政九年(一八二六)より六月六、七日の両日、殿様祭りとして祇園祭を執り行うようになったのが宇島祇園の始まりと伝えられています。祭りは御神体を神輿や舟に乗せた山車が本宮から御旅所まで、各町内の神社で船歌を奏唱しながら進みます。船歌は老人が音頭を取り上の句を、子供は下の句を歌い、鐘と太鼓による「コンコンチキリン」の囃子に乗って威勢よく大綱で引き廻します。踊り車は昔は子供歌舞伎であったものが、現在は歌謡曲による舞踊となっています。
五月三日は花(ご祝儀)貰いといって、各町内から六台の山車(天祥丸、八千代町、千代町、恵比須町、魚町、神明元町)が出て地区内を練りまわし、商家や有志の家に立ち寄り踊り等を奉納しながら宇島神社に集結します。翌四日(中日)は、祭典の後、各山車が注連で踊り等を奉納しながら小笠原神社で休憩。最後は御旅所である堂山神社に入ります。五日(終日)は堂山神社(八千代町)を午後にお立ちとなり、神輿を先頭に町内を巡行した山車が宇島神社を前に一気に駆け込み、祭りはクライマックスを迎えます。舟歌が奉納され、踊りの競演と続き、最後に天神丸の引き上げ音頭によって山車は町内に向かって引き上げ、祭りは終わります。山車の勇壮さと壮厳さは一見の価値があります。
■交通 車 豊前市内へは、東九州道「苅田北九州IC」から国道10号線で50分 大分道「日田IC」から国道210号線で70分
■文献
【奉納日程】
場     所 日   程 奉納時間帯
宇島地区内 5月3日 終日
宇島神社〜堂山神社 5月4日 終日
堂山神社〜宇島神社 5月5日 午後〜深夜
〒828-8501
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豊前市教育委員会
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