求菩提山のお田植祭り
(くぼてさんのおたうえまつり)


■起源 奈良時代 ※伝承
■内容 豊前国修験道には、かつて松会と呼ばれる五穀豊穣を祈願する祭がありました。この祭では、まず神幸祭があり、次に松庭と呼ばれる広場で田行事が行われ、最後に高い松柱の上から幣を切り落とす幣切り行事がおこなわれました。田行事の衣装箱に「建暦三年二月廿九日」の墨書があり、鎌倉時代には既にこの祭が催されていたことがわかります。もともとは神仏習合の祭ですが、現在求菩提山では国玉神社の神事として田行事のみが伝えられています。毎年三月二十九日、国玉神社中宮前の広場で、春の種まきから秋の採り入れまでの農作業を真似ての所作が神歌にあわせてユーモラスに繰り広げられ、この祭を機にようやく求菩提にも春が巡ってくることになるのです。お田植祭は、求菩提山国玉神社で毎年三月二十九日に行われる五穀豊穣祈願の予祝行事です。求菩提山八合目、国玉神社中宮前の広場に「遣巻(やりまき)」と呼ばれる神歌が流れ、そこでは草刈り、田鋤き、種子蒔き、田植え等々米作りにかかるお百姓の農作業がユーモラスに演じらます。これは、かつての山伏たちの祭「松会」の中の「田行事」を今日に伝えるものです。
 松会は、求菩提山や英彦山をはじめとする旧豊前地方の修験道寺院で行われた神仏習合の祭で、@神幸祭、 A田行事、B幣切り行事の三つで構成されていました。
 祭りはまず、神幸祭で神輿が繰り出されます、神輿には仮に神に姿を変えた仏(権現)が乗るとされ、その前では豊作祈願の「仁王経(にんのうきょう)」が読誦されます。続いて田行事が行われ、幣切り行事が祭の最後を飾ります。田行事の行われる広場を「松庭」、そこに立てられた柱を「松柱」と呼びますが、幣切り行事では、山伏が御幣を背に持ってその松柱を登り、柱の頂から真っ白な御幣を切り落としてみせます。切り落とされた御幣は神の御種子であり、それは松庭に蒔かれた籾種と交合するとされ、その年の豊年満作が約束されるというわけです。  求菩提山の松会は『縁起』によれば、奈良時代に始まると言われますが、今のところその起源を特定することはできません。ただ田行事の衣装箱が残されていて、その蓋に「建暦三年(1213)二月二十九日」の墨書銘があり、鎌倉時代にはすでに松会が行われていたことが窺えます。
■交通 豊前市内へは、東九州道「苅田北九州IC」から国道10号線で50分 大分道「日田IC」から国道210号線で70分
国玉神社へは、JR宇島駅下車、豊前市バス八屋バス停から岩屋線で求菩提資料館前下車(約35分)
■文献
【奉納日程】
場     所 日   程 奉納時間帯
国玉神社 3月29日 10:00〜15:00
〒828-8501
豊前市大字吉木955番地
豊前市教育委員会
Tel.0979-82-1111