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画伯の紹介

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画伯は明治43(1901)年、豊前市狭間の浄土真宗明照寺に生まれる。築上中学校、中津中学校を経て、大谷大学文学部に学んだ。

同校を卒業後、京都日日新聞社に入社したが一貫して取り組んできた画業と両立が難しく、一年で退社。以後、画業に専念した。

昭和14年、春陽会会友、同18年、春陽会会員。

昭和20年、鹿児島海軍航空隊基地において、艦載機の攻撃を受けて負傷、左手を切断。終戦は海軍軍医学校で義肢の着用の訓練中に迎えた。

戦後は一貫して豊前市狭間に在住。僧籍を持つ画伯は仏教を題材とした作品を数多く発表。その間、昭和20年代から奥の細道行脚など国内を旅行し「日本風物絵巻」作成を続けた。また、昭和30年代、40年代に数度にわたってインド、ビルマ、ネパールの仏教の旧蹟を訪問している。代表作といわれる「傘牡丹」は昭和54年の春陽会展に出品されたもの。平成7年2月、狭間の自宅で亡くなった。享年84。 

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