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矢頭   良一(やず   りょういち)【1878(明治11)~1908(明治41)】

◆発明家   不遇な生涯に翻弄された天才発明家

 

矢頭良一

上毛郡皆毛村(現;豊前市久路土)に生まれ地元の学校で学んだ後、空中飛船の研究を志し大阪に向かいます。その後長崎にも滞在し、アメリカ人やイギリス人の私学で基礎学科を習得し、その傍らで飛行原理の研究をします。1897年(明治30)に一旦帰郷し、家業を手伝いながら自動算盤(計算機)の研究も進め、1901年(明治34)にはその成果を携え、福岡日日新聞(現;西日本新聞)の高橋主筆を訪ねます。高橋はその才能を高く評価し、小倉第十二師団の軍医森林太郎(森鴎外)に紹介します。鴎外の配慮で矢頭は上京し、様々な人から経済的にも研究でも援助を受け、1902年(明治35)自動算盤の特許を得て製品化に成功します。さらに英語と漢字二種の早繰辞書を発案し、これも販売にこぎつけます。これらは何れも当時としては優れた発明で、矢頭の才能が大きく開花した瞬間でした。そして、いよいよ飛行機の製作へと夢は膨らみます。

1905年(明治38)本格的な翼力試験中に矢頭は肋膜炎を発症し、研究の中断を余儀なくされます。1907年(明治40)研究を再開した矢頭は行橋の柏木勘八郎の仲介で井上馨伯爵の援助を受け、東京雑司ヶ谷に工場を建設。しかし病状は思わしくなく、志半ばにして日本初の飛行機はその姿を見せることなく矢頭とともに彼方へ飛び去ることとなります。鴎外は「天馬行空」の書を送り、その死を弔いました。

凄まじい勢いで近代化が推し進められた時代、稀代の天才発明家は与えられた時間の理不尽さを嘆いていたのかもしれません。

 

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