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杉生   十右衛門(すぎお   じゅうえもん)【1765(明和2)~1830(文政13)】

◆公人(郡奉行)   宇島港に生涯をかけた名奉行

 

小倉藩の郡代(家老に次ぐ要職で民政を担当)を務めた人物で、後に宇島港築港の責任者となりました。もともと宇島は“鵜の洲”と呼ばれる無人の浜で、藩界の領地をめぐり中津藩との争論を抱えていた小倉藩はここに新たに港を築き、小祝(現;大分県中津市)の漁師を移住させる計画を立てました。これを立案したのが杉生で自ら総奉行となり工事を指揮しました。

工事は沖合いに地波止(長さ133間)、中波止(同161間)、沖波止(同124間)という三つの波止を築く大工事で、1821年(文政4)に始まり、4年の歳月と延22万人の労働力、24,050貫目(約264億円余)という莫大な歳出を要して1825年(文政8)に完成します。1828年(文政11)には町割が完成し、ようやく竣工したにもかかわらず、翌年には台風による災害で波止の一部が決壊するなどその後の維持管理には苦労が絶えず、度重なる出費などで杉生に対する批判が高まり、苦悩の日々を送ることになります。こうした心労が重なり、1830年(文政13)杉生はこの世を去ります。

このように宇島港築港の評価は当時としては芳しいものではありませんでしたが、その後、豪商万屋の台頭で関西との海運事業の要となり、また近代以降、豊前市の発展を支えた工業地帯が形成されるなど、その功績は高く評価されるようになります。

現代につながる難事業をやり遂げながらその成果を見届けることが出来なかった杉生ですが、後世の人々はその恩に報いるため宇島神社にお祀りし、宇島祇園を継承しながらその業績を偲んでいます。

宇島神社にある宇島港の碑

宇島神社にある宇島港の碑