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大河内   傳次郎(おおこうち   でんじろう)【1898(明治31)~1962(昭和37)】

◆俳優   一世を風靡した銀幕の大スター

 

本名、大辺   男(おおべ   ますお)は築上郡岩屋村(現;豊前市岩屋)で代々医師をしていた家に生まれます。大阪商業学校卒業後、東京や大阪で暮らしますが、1924年(大正13)倉橋仙太郎が主宰する新民衆劇学校に入り、当初は脚本家を志しますが倉橋夫人に勧められ、室町次郎の芸名で舞台に立ちます。1926年(大正15)に日活大将軍撮影所に入社し、「忠治旅日記」三部作や「建国史  尊王攘夷」に出演し、無声映画の世界でその地位を確立します。その後、日活で10年間様々な作品に出演し、特に「せぇいはたんげ   なはしゃぜん」と故郷の豊前訛り丸出しの丹下左膳の名台詞は傳次郎の代名詞となりました。

そして戦中戦後を通じて坂東妻三郎、嵐寛寿郎、長谷川一夫、三船敏郎、片岡千恵蔵などと数多くの作品で共演し、華やかな立ち回りと心揺さぶる演技力で観る者を魅了しました。

その傍ら京都嵯峨野の小倉山に造成した広大な庭園は大河内山荘と呼ばれ京都の名所の一つといわれています。一世を風靡した銀幕の名優に第十三回ブルーリボン賞は特別賞を送り、その功績を称えました。

故郷の地名をそのまま芸名とし、その方言をトレードマークとした名優を私たちは忘れてはなりません。

 

 

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