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大江   俊明(おおえ   としあき)【1894(明治27)~1954(昭和29)】

◆実業家・郷土史家   ジャーナリストとして地域を愛した賢人

 

築上郡八屋町(現;豊前市八屋)に生まれ、1913年(大正2)に家業であった印刷業を継ぎます。印刷業は父寿太郎が1912年(明治45)に興したもので、1908年(明治41)には既に「八屋新報」という月刊紙を創刊しており、地域のジャーナリズムの黎明として評価されます。こうした影響もあって1929年(昭和4)には「築上新聞」(当初月2回その後月3回発行)を創刊しますが、地域の様々な記事を大江自らが論説する一方、岡為造、辛島並明、岡山喜久郎ら郷土史家による文化面が話題を呼んだといいます。これは時を同じくして大江が立ち上げた「築上史談会」の活動とリンクしたもので、当時すでに求菩提山と犬ヶ岳の歴史資源としての価値を評価し、その活用を通じて地域の振興に役立てようとしたものでした。新聞というジャーナリズムを通じたキャンペーンは功を奏し、地域と一体となった保存・活用の取り組みは求菩提・犬ヶ岳を豊前市のシンボルとして人々の心に焼き付け、今もその価値は色あせることなく輝きを放っています。今でこそ文化財は地域資源として注目を浴びていますが、戦前のこの時期にすでにそれを認識しさらに実践していたことには驚かされるとともに、その慧眼には敬服するばかりです。

ところで、大江は囲碁、将棋、観劇が何よりも好きでしたが、終生求菩提山の研究にかけると決意してこれら一切を自ら禁じたと言います。明治生まれの気骨溢れる後日談でしょう。

※岡為造は豊前地域の郷土史研究のパイオニアで、教員を務めながら研究に当たりました。1909年(明治42)にはすでに「考古界」と言う雑誌に求菩提山の銅版法華経(国宝)を紹介するなど、その研究は高く評価されています。岡が残した「築上史料」はそのすべての記録であり、これを基に編纂した「築上郡史」は今も基準史料として地域史の研究に欠くことが出来ないものです。

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