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丸山   敏雄(まるやま   としお)【1892(明治25)~1951(昭和26)】

◆思想家   今も人々に敬愛される福徳一致の精神

 

上毛郡合河村(現;豊前市天和)の農家に生まれ、徳福一致の倫理運動の創始者として知られます。小倉師範学校を首席で卒業した丸山はさらに広島高等師範学校で国史を学んだ後、故郷の築上中学校の教師となり中学明善校を経て長崎女子師範の教頭になります。その間各地で史跡調査や国史の研究に励み、その過程で生じた矛盾を解決するため広島文理科大学に入学します。しかし、なおも問題の解決に至らず勧められて新興宗教「ひとのみち」(現;PL教団)に入団し、その後教団教師となります。ところが、1936年(昭和11)不敬罪で警察の取調べを受け14ヶ月間の幽囚生活を余儀なくされますが、戦中を通じてなお研究の体系化を進めようやく徳福一致の生きた生活法則を確信したと言います。

戦後「新世文化研究所」(のちの「倫理研究所」)を創立し、教育や平和運動に精力的な活動を展開しています。

近年、生まれ故郷にその生家が再現されました。生きることが精一杯であった時代、その苦難の経験が思想家丸山の原点であったのかもしれません。

丸山敏雄