神﨑 勲(こうざき いさお)【1864(元治元)~1954(昭和29)】
◆実業家・政治家 近代豊前の礎を築いた実力者
上毛郡四郎丸村(現;豊前市山田)に生まれ、若い頃に蔵春園に学び、教養を積みます。 実家の酒造業をはじめ北豊銀行頭取、宇島鉄道、築上製糸の社長を歴任するなど、地方財界の中心人物としてその手腕を振るいました。 一方で1907年(明治40)に県議会議員となり議長などを歴任、1923年(大正12)には帝国議会(現;衆議院)に当選するなど政治家としても活躍します。 さらに、地域の教育環境を整備するため中学校(現在の高等学校)の創設にも奔走しました。その結果、1924年(大正13)築上中学校(後の築上中部高校、現在は統合され青豊高校)が開設され、多くの優れた人材を輩出することになります。 日本が近代化の道を突き進んだ時代、地方にあって政財界を中心にその流れを敏感に察知し、地域の発展に尽くした人物として傑出した存在であったと言えます。
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県議会棟控え室の神崎議長 |
市民会館前の胸像 |
勲翁(楽山)の書 山田小学校 |