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古代豊前と古墳文化

古墳とはある種古代における政治勢力の大きさを象徴するものであり、特に前方後円墳の分布は大和王権とのつながりを表しているといえます。旧豊前国の古墳の分布を見ると2つの拠点(京都平野、宇佐平野)があり、豊前市域周辺はその挾間ながら近年ようやく前方後円墳の存在が明らかになりました。
豊前市域における政治勢力の台頭は弥生時代中期初頭に見られます。佐井川の中流域に見られる青銅器を有する集落の出現は、朝鮮半島とのつながりを強く意識させ、その後の本地域の古代社会を方向付けたと言えます。
そうした中、豊前市内には現在3箇所で古墳の存在が知られるにすぎず、断片的にその存在が知られる1箇所とともにその密度は薄いと言えます。これはこの地域が古代においては佐井川流域を中心とする上毛郡として築上郡東部と一体の地域を構成し、古墳の分布が築上郡東部に集中していることに起因します。
しかし、一方で線刻を有する古墳が存在するなど、本地域の古代史を考える上で重要な情報を提供してくれます。

黒部古墳群

六世紀末から七世紀中ごろにかけて構築された古墳で、都合7基によって構成されます。特筆すべきは装飾(線刻)をもつ6号墳で、大型と小型の複数の船が描かれています。
古墳は標高30メートル余りの景勝の地に築かれており、遠く豊前海を眺望することができます。古代、主要な交通手段が海上交通であったこと、後に海上交通の神である宗像の神が付近に祭られたこと(大富神社)、「舟入(せんにゅう)」という地名など、この古墳に葬られた人物がこの地で勢力を誇り、海上交通を司っていたことを窺(うかが)わせてくれます。

 

 写真

福岡県指定有形文化財(史跡)
昭和55年3月1日   指定
豊前市大字松江1100-1

 

※一般公開していません

黒峰尾古墳群

黒部古墳群と同じ丘陵上に位置し、もともと一体をなす本地域の首長墓群で黒部古墳群と併せ都合11基を確認できます。指定されているのは4基で、いずれも直径10メートル前後の円墳です。宇島港築港の際、採石を目的として破壊されたといわれる幻の千束原古墳の実態が定かでない中、市内に残される数少ない墳丘を持つ古墳であり、古墳文化を知る上で貴重な資料と言えます。

 

豊前市指定有形文化財(史跡)
昭和63年3月16日   指定
豊前市大字松江1084

 

※見学を希望される方は、教育委員会までご連絡ください。

 

平原横穴墓群

六世紀後半から七世紀中ごろにかけて構築された、市内で唯一の横穴墓群です。横穴墓は墳丘を持つ古墳(黒峰尾古墳群など)と違い、崖面に横穴を掘って遺体を収める場所を作ります。ここでは凝灰岩の崖面に上、中、下3段にわたって19基の横穴墓が見られます。
   近くにある黒峰尾古墳群とは古墳の造り方が明らかに違うため、被葬者は別のグループと考えられ、さらに、同じ横穴墓でありながら京都平野や中津平野の一部のものと構造が違うことなど、古墳時代の社会構造を知る上でも貴重な資料です。

 

写真

豊前市指定有形文化財(史跡)
昭和63年3月16日   指定
豊前市大字川内3219外

 

※見学を希望される方は、教育委員会までご連絡ください。

鬼木四反田遺跡及び関連遺跡出土青銅器

 

鬼木四反田遺跡出土銅?(どうやりがんな)、銅鏃(どうぞく)、銅戈(どうか)(中広形銅戈)、銅鏡(どうきょう)(蕨手状(わらびてじょう)渦文鏡(うずもんきょう))、河原田搭田遺跡出土銅戈(細形銅戈)、鬼木鉾立遺跡出土銅矛(どうほこ)(中細もしくは中広形銅矛)の計6点で、弥生時代中期初頭(約2,100年前)から後期初頭(約1,900年前)にかけての青銅器です。このうち鬼木四反田遺跡出土銅?(どうやりがんな)、銅鏡(どうきょう)、河原田搭田遺跡出土銅戈は弥生時代中期初頭に位置付けられ、東九州最古級の青銅器です。これらはいずれも朝鮮半島で製作され日本にもたらされた輸入品(舶載品)で、全国的にも数点から十数点ほどしか発見されていない極めて貴重な資料です。
これら青銅器を出土する3遺跡は近接していて、佐井川流域で成立した当時の有力な集団と考えられています。こうした状況は豊前地域での政治的な勢力(ムラからクニへ)が台頭する様子を示していて、併せて、この頃からすでに朝鮮半島とのつながりが強かったことがわかります。

 

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青銅器
錫と鉛の合金で、日本で始めて使われた金属製品。当時としては極めて貴重なもので、これを所有することはすなわち大きな富を蓄えていたことを意味することから、政治勢力台頭の指標とされています。

 

豊前市指定有形文化財(考古資料)
平成14年指定
豊前市大字八屋1776-2   豊前市立埋蔵文化財センター

電話番号:(0979)82-5287

黒部古墳群出土遺物

   金属器38点、玉類10点、土器類2点の計50点で、昭和52年(1977)に福岡県教育委員会が実施した発掘調査の際にその他の多くの遺物とともに発見されました。
   金属器は武器類として鉄鏃9点と刀装具の圭頭式(けいとうしき)柄頭(えがしら)(銅製)1点、喰出鐔(はみだしつば)(銅製鉄縁)1点の計11点、馬具類として杏葉(ぎょうよう)(銀製)1点、雲珠(うず)(鉄地金銅張り)1点、雲珠もしくは辻(つじ)金具(かなぐ)の脚部(鉄地金銅張り)3点、鋲(びょう)留金具(どめかなぐ)(鉄地金銅張り)10点、不明金具9点の計24点及び、不明鉄器3点の都合38点です。
   玉類は丸玉9点(ガラス製7点、瑪瑙(めのう)製2点)、切子玉1点(水晶製)、土器類は須恵器(すえき)の皮袋形(かわぶくろ)土器の大小2点があります。
   これらは当時の首長墓である黒部古墳の性格を示すもので、被葬者の政治権力の大きさを知ることが出来ます。

 

写真

豊前市指定有形文化財(考古資料)
平成14年月日   指定
豊前市大字八屋1776-2   豊前市立埋蔵文化財センター

電話番号:(0979)82-5287 

 

 

 

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